中日ファンが監督に臨んでいる人物が立浪和義氏です。
選手時代はミスタードラゴンズと呼ばれ、現役時代後半は選手兼任コーチまで務め大変な人気選手でした。
今回はそんな立浪和義氏の選手時代の年俸推移・成績や記録についてご紹介していきたいと思います。
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立浪和義氏の経歴やプロフィールを紹介
立浪和義氏は大阪府吹田市出身で、高校はPL学園で甲子園では主将として甲子園を春夏連覇しています。
1987年のドラフトで中日と南海が1位指名で競合し、当時の監督である星野仙一監督が当たりを引き当てて中日に入団しています。
その後、2009年に引退するまで中日ドラゴンズ一筋で活躍したのです。
ちなみに、引退したときにはドラゴンズファンから立浪和義氏が付けていた背番号3を永久欠番にしようとする運動が起こったほど人気がありました。
立浪和義氏の現役時代の成績や記録を紹介
立浪和義氏は1988年のプロ入り1年目から開幕1軍で先発出場しています。
シーズン通して110試合に出場し、打率.223ながらも22盗塁や21犠打などが評価されて新人賞を受賞し、さらに守備力も評価されておりゴールデングラブ賞を受賞しています。
2年目は怪我の影響で30試合の出場にとどまりました。
しかし、3年目以降は現役時代の晩年までレギュラーとして試合に出場しています。
2007年のオフからは打撃コーチに就任し、選手兼コーチとなりました。
2008年は不振に終わり、翌年での引退を示唆し2009年に引退しました。
ちなみに、立浪和義氏の2塁打の通算487は日本プロ野球記録で未だに抜かれていません。
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立浪和義氏の推定年俸の推移を紹介
1年目の1988年の推定年俸は480万円でした。
1年目から新人王・ゴールデングラブ賞を受賞したこともあり、倍増の960万円まで増額されました。
コンスタントに活躍し始めてからは1995年に1億2000万円と1億円を突破。
2002年~2006年までは推定年俸2億5000万円で、最終年は8000万円と言われています。
さすが中日を長年引っ張ってきただけはありますよね。
立浪和義氏の満塁サヨナラホームラン動画
この動画は2006年4月7日の中日VS中日のサヨナラのシーンです。
試合は川上憲伸選手と上原浩治選手の両エースの投げ合いで9回まで1対1の投手戦が続きました。
そして、9回裏に満塁で立浪和義氏に満塁で打席が回ってきます。
ここで立浪和義氏のこの一振りです。
もう完璧なあたりですよね。
中日ファンもチームメイトを嬉しそうです。
上原浩治選手はガックリです。
立浪和義氏の記憶に残る満塁サヨナラホームランですね。
立浪和義氏の現役最終打席の動画
この動画は2009年9月30日の立浪和義氏の引退試合で現役最終の打席の動画です。
きっと立浪和義氏もこみ上げるものがあったでしょうね。
打席での動作一つ一つ最後の打席をかみしめているようです。
そして、2球目を見事に捉えて右中間に弾き返し、2塁打を放っています。
打った時のファンの歓声が凄いですよね。
それだけ立浪和義氏がファンから愛されていたことがわかります。
しかし、このシーンを見るとまだまだ現役でやれたのではないのかと思ってしまいますよね。
また、立浪和義氏の最期の打席が二塁打というのもまた感じるものがあります。
プロ初ヒットが2塁打で最終打席も2塁打、そして2塁打の通算数は日本プロ野球記録と2塁打に愛されていますよね。
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さいごに
中日OBの中でファンから人気があるのは立浪和義氏でしょう。
監督になってほしいとの声もあり、ミスタードラゴンズとまで言われていましたから当然かもしれません。
しかも、2塁打の通算記録は日本プロ野球記録として未だに残っています。
それだけ実力・人気を兼ね備えた人物なのです。
ぜひ中日で監督になることを願っています。
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